大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(ラ)7号 決定 1958年6月24日

抗告人 石川増己 外一名

相手方 間淵元一

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

抗告代理人は、「原審判中『一の前段(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)の畑、(ヘ)(ト)(チ)の山林及び現金を申立人(相手方)間淵元一の所有とし、』とある部分、並びに二の『鑑定料を折半負担し』とある部分を取消し、申立人(相手方)の遺産分割の申立はこれを却下する。審判に関する費用はすべて申立人(相手方)の負担とする。」との裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書記載のとおり主張した。

本件記録編綴の戸籍謄本(十七丁)、抗告代理人の当審で提出した戸籍謄本三通(七十九丁、八十丁、八十二丁)によれば次の事実が認められる。

抗告人石川増己、同石川むるは、昭和二十一年一月三十日それぞれ被相続人石川たにと養子縁組をなした。相手方間渕元一は被相続人石川たにの二女みよと間渕徹治間に出生した長男であり、右みよは昭和十一年二月四日死亡した。石川たには、明治三十三年五月二十一日本籍地静岡県盤田市(当時郡)見付町二千六百六十九番地の一、戸主石川勇治郎に嫁し、同家に入つたが、石川勇治郎は、昭和七年二月五日死亡したため、同人等の長男武夫がその家督を相続した。二女みよは当時右武男の家族として石川家にあつたが昭和八年二月二日前示のとおり間渕徹治に嫁して石川家を去つた。石川家は、そのため戸主武夫の外家族としては石川たにのみが残つていたところ、戸主武夫は昭和二十年八月二十七日死亡し、母石川たにがその家督を相続し、戸主となつた。石川たには昭和二十八年八月二十五日死亡した。

そうすると、相手方間渕元一の母みよは、その死亡当時において、その母石川たにが、石川武夫の家族であつたから、当然、石川たにの遣産相続人であつたわけである。その後、石川武夫死亡後は石川たには石川家の家督を相続して同家の戸主となつたので、右みよは、既に間淵家に嫁していたのであるから、たとえ存命していても、石川たにの法定推定家督相続人とはなり得ないものであつたことは明らかである。しかし、民法の改正により、家督相続の制度が廃止され、相続がすべて、財産相続となつたのであるから、石川たにの死亡当時である昭和二十八年八月二十五日に、若し、相手方間渕元一の母みよが存命していたとすれば、当然その相続人となり得たことは明らかである。代襲相続は、被代襲者が、被相続人に対して相続人である地位になければならないことは、その要件であるけれども、代襲相続が代襲者に被代襲者の相続権を相続させるものと解することが相当でないので、その要件の判断の時期は、必しも被代襲者の死亡の当時と限定すべきではなく、被相続人が死亡し(旧民法においては隠居の場合も含まれる)た時において、被代襲者が生存したならば、法律上当然その相続人たり得るか否かによつて判断するを相当とする。

本件においてみれば、相手方間渕元一の母みよは、被相続人石川たにの二女であり、若し、被相続人死亡当時まで存命していたならば法律上当然、相続人たる地位にあるものである。したがつて相手方間渕元一は右みよを代襲して、石川たにの相続人となつかものと解さなければならない。

よつて、抗告人らの相手方が代襲相続人でないことを前提とする本件抗告は、その他の点についての判断をなすまでもなく理由がなく、本決定と同趣旨にでた原審判は相当であるから、本件抗告を棄却し、抗告費用の負担については、民事訴訟法第九十五条、第八十九条、第九十二条に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 小河八十次)

(別紙) 抗告理由書

(第一) 本件審判には其理由不備である

民法第九〇七条第二項には「遺産分割について共同相続人間に協議調はないとき又は協議することが出来ないときは共同相続人はその分割を家庭裁判所に請求することができる」とあるから遺産の分割を請求し得る者は共同相続権を有する者でなければならぬ事は明かである。従つて遺産の分割を命ずる審判に於ては先づ分割請求者に相続権あるや否やを審定説明しなければならぬ。殊に其点が共同相続人と称する者相互の間に争いとなりある場合は最も然りとする

本件に於て抗告人等は相手方に相続権なきことを極力争うて居るのである(抗告人等が原審に提出しある昭和三十年三月十日付遺産分割審判事件についての申述書参照)

然るに原審判は此点について何等の審決並に其の理由の説明をもなすことなく漫然遺産の分割を命じたるは先づ失当である

(第二) 本件遺産については相手方に共同相続権がない

先づ説明の便宜の為め当事者各自の身分関係を序述する

一、被相続人石川たには亡夫戸主石川勇次郎との間に長男武雄長女むる、次女みよの三子があつた

1、昭和二年十二月長女むるは伊藤増己に嫁す

2、同七年二月戸主勇次郎死亡し長男武雄家督相続す

3、同八年二月次女みよ間淵徹次に嫁す

4、同十一年みよ、元一(相手方)を残して死亡す

5、同二十年八月武雄死亡したるも子なき為め母たに家督相続す

6、同二十一年一月伊藤増己並に妻むるは戸主たにとの間に夫婦養子となり石川姓を称す(即ち抗告人等である)

7、同二十一年十一月三日、日本国憲法公布(同二十二年五月三日施行)

8、同二十二年四月十九日、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律公布(同二十二年五月三日施行)

9、同二十三年一月一日新民法施行、応急措置法並に旧民法廃止

10、同二十八年八月被相続人石川たに死亡し遺産相続開始す

二、右によつて明らかな如く石川武雄の死亡に因り石川たにが家督相続をした昭和二十年八月当時に於ては相手方元一の母みよは其の約九年前に既に死亡して居るのであり且又死亡前既に間淵家に嫁し居つて石川家の家族でないから同人は何等家督相続権のなかつたものである勿論相手方元一はたにの家族でないから石川家の相続に関する何等代承権もなかつたものである

三、昭和二十一年一月抗告人等夫婦がたにの夫婦養子となつたので此の時に抗告人石川増己はたにの家督相続人となつたもので同人の他にたにの相続人たる者がなかつたのである

四、勿論当時の法制上戸主たる石川たにに関しては遺産相続の問題は発生の余地がなかつた

五、右の様な状態にあつた際昭和二十一年十一月三日、日本国憲法公布せられ続いて同二十二年四月十九日応急措置法公布せられた(二法何れも昭和二十二年五月三日より施行された)

六、而して憲法は其の第二十四条二項に於て相続に関する規定を設けて居り応急措置法は亦其第七条に於て「相続については第八条、第九条の規定によるの外遺産相続に関する規定に従う」と規定し其の第八条に於て「直系卑属、直系尊属及兄弟姉妹に其の順序により相続人となる」と定められた

七、右の結果抗告人石川増己は勿論抗告人石川むる、相手方間淵元一も始めてたにとの間に遺産相続の関係を生じた

然し乍ら相続の順位は親等の近きものを先とすることは相続法の原則であり右第八条にも「其の順序により相続人となる」と規定して居る

而して本件相続については抗告人夫婦はたにの養子であるから第一順位者であり相手方元一はたにの外孫であるから第二順位者である従つて此の応急措置法の規定よりしても本件の場合相手方はたにの遺産相続人でない

左記判例参照

(イ) 明治三十七年(オ)第二八四号、同年十月二十日判決

(ロ) 明治三十八年(オ)第二三四号、同年九月十九日判決

(ハ) 大正五年(オ)第五四七号、同年十二月二十五日大民第二部判決

(ニ) 大正六年(オ)第一〇〇九号、同七年一月二十九日大民第一部判決

八、又応急措置法には代承相続に関する何等の規定がない仮りに同法にも代承相続の趣旨が含まれあるものとしても本件の如き場合代承相続の規定は適用されないのである此の点は更に後に陳述する

九、昭和二十三年一月一日新民法実施せられ同時に応急措置並に旧民法は廃止せられた 十、新民法第八百八十七条には「被相続人の直系卑属は左の規定に従い遺産相続人となる一、親等の異なつた者の間ではその近き者を先きにする二、親等の同じである者は同順位で相続人となる」と規定されて居る

此の規定によつて換言せば此の新民法の発効した昭和二十三年一月一日に於てそれまで戸主であつた石川たにはその遺産に関して被相続人としての地位が定まつたものであり又その遺産相続人が何人であるかゞ決つたものである蓋し地位や権利は法によつて発生するのであり他面新民法実施前には遺産相続は家族の死亡によりて生じたもので本件の如く石川たにが戸主たる場合には何等遺産相続に関する問題を生ずる余地がなかつたからである 十一、或は応急措置法第七条、第八条の法意も右と同一であるとするならば同法の施行された昭和二十二年五月三日に於て右の趣旨によつて石川たにの遺産相続人が決まるのである右何れにしても「本件の如き場合新民法施行前若しくは応急措置法実施前は家督相続の制度行はれて居り遺産相続の制度は行われなかつたのであるから本件遺産相続人を定むるのは右両法の何れかの発効当時に於て之れを決めるのは論理当然のことである

十二、而して此の場合遺産相続人たる者が其当時即ち新民法施行当時若しくは応急措置法施行の当時生存して居る者でなければならぬことは死者は権利の主体でないから相続権を有しないのは元より当然であるのみならず特に新民法第八百八十六条に「胎児は相続については既に生れたものと看做す、前項の規定は胎児が死体で生れたときは之れを適用しない」とあるに照して明らかである又其の第八百八十八条第二項にも同趣旨の規定を設けて益々此の点を明らかにして居るのである

右の如く本件の遺産相続人は新民法若しくは応急措置法の実施当時の生存者について定まるものであるから相手方の亡母みよはたにの遺産相続人でないことは云う迄もない、況んやみよは前述の如くたにが家督相続をなした約九ケ年も前に死亡して居るのであるから猶更である此の点に関しては左記民刑局回答に依るも明かである

(イ) 明治三十一年十一月一日民刑局回答第一六三三号

(ロ) 同三十三年九月十一日付民刑局回答、前示明治三十七年(オ)第二八四号大審院民事第一部判決

(第三) 相手方に代承相続権はない

一、以上の論旨並に判例及民刑局回答共に之を要約すると被相続人の遺産については被相続人が其の地位を得たとき生存して居つた直系卑属でなければ直系卑属としての相続権がないと云うのである

而して本件被相続人たにが被相続人の地位を得たる応急措置法実施の当時若しくは新民法発効の当時生存して居る直系卑属は抗告人夫婦と相手方のみである然かも抗告人等は一等親であり相手方は二等親であるから前示新民法第八百八十七条の一により抗告人等が亡たにの遺産相続人であり相手方は第二順位者であること明かである

二、又代承相続を規定せる新民法第八百八十八条は明らかに「前条の規定によつて相続人となるべき者が相続の開始前に死亡し又はその相続権を失つた場合に於てその者に直系卑属があるときはその直系卑属は前条の規定に従つてその者と同順位で相続人となる、前項の規定の適用については胎児は既に生まれたものと看做す、但し死体で生まれたときはこの限りでない」とある此の第二項は先づ死んで生まれた胎児には代承相続権ないことを明らかにして居るのであつて此の法理は死んで居る者には権利が無いと云う法理と相通ずるのである

而して右法条は其の冒頭に於て明かに「前条の規定によりて相続人となるべき者が」と明規し又「その直系卑属は前条の規定に従つてその者と同順位で」と規定されて居る

所云「前条の規定により」とか「前条の規定に従つて」と云うのは前示新民法第八百八十七条によることを意味するので同条の法意は前既に述べた如く又前記判例並に民刑局回答の如くで本件の場合相手方の亡母みよには遺産相続権がないのであるから無より有を生せざるの道理で相手方に代承相続の問題を生ぜないのが当然である。

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